あれは2001年の春だったと思います。北京の日本語月刊誌に「明治大学の校友会が設立、人民大会堂に明治の校歌が流れた」という記事が掲戴されました。当時、私はロシア留学で知り合った中国人と国際結婚をして98年から中国河北省石家庄という街に住んでいましたが、中国語は全く話すことができないうえ中国の文化や風習にも疎かったので、戸惑いと孤独感、言いようのない疎外感を味わう毎日に、心も体も病んでいました。日本の食材もなければ日本語を話す相手もなく、今のようにインターネットで何でも見られる時代でもなかったのです。

そのため、当時は片道5時間かかつても、外国人がたくさんいて、マクドナルドや伊藤洋華堂がある北京に年に1、2回行くことだけが楽しみでした。そんな北京でこの記事を見た時は例えようもない衝撃を受け、私も法政の校友会に入りたい、日本語で話せる仲間が欲しいと心から願いました。

それから、中国校友会の連絡先を聞くために国際電話で大学に問い合わせました。しかし回答は「中国にはまだ校友会はない」、ひどくがっかりしたのを覚えています。しかしほどなく、当時校友連合会の副理事をされていた中野忠氏から「ぜひ中国でも校友会を作って」という励ましのお電話やFAXを何度もいただき、元気が湧いてきました。

私は北京の雑誌に「法政大学の校友を探しています」というメッセージを掲載してもらいました。2、3ヶ月過ぎたころ、掲載した私の連絡先に、「自分も法政です」というメールや電話がかかってきました。一人、また一人と校友からの連絡を受けるたびに涙が出るほど嬉しかったのを覚えています。しかも、北京で現地法人の社長兼日本人会の副会長をしていた小俣具久氏や、日系大手商社で働いていた曹京鉉氏、中国最高峰の北京大学で教鞭をとつている白智立氏など、校友が中国で存分に活躍しているのを知ってとても誇らしく頼もしく、法政はすばらしい大学だと改めて感じました。そして、掲載内容を「法政大学校友会の中国支部設立を目指しています」と変更し、手探りでホームページを作って呼びかけを強化、上海の岸本学氏とも知り合うことができました。

私は北京周辺地区で、岸本氏は上海地区、北京出張中に偶然私の呼びかけを記事を見て連絡をくれたという応援団出身の唐橋伸也氏は香港地区で呼びかけを分担してくれることになりました。

そうしてまずは2001年12月8日上海で「法政上海会」、14日に北京で12人の校友が参加した「オレンジの集いin北京」が開催されたのです。

あれは2001年の春だったと思います。北京の日本語月刊誌に「明治大学の校友会が設立、人民大会堂に明治の校歌が流れた」という記事が掲戴されました。当時、私はロシア留学で知り合った中国人と国際結婚をして98年から中国河北省石家庄という街に住んでいましたが、中国語は全く話すことができないうえ中国の文化や風習にも疎かったので、戸惑いと孤独感、言いようのない疎外感を味わう毎日に、心も体も病んでいました。日本の食材もなければ日本語を話す相手もなく、今のようにインターネットで何でも見られる時代でもなかったのです。

そのため、当時は片道5時間かかつても、外国人がたくさんいて、マクドナルドや伊藤洋華堂がある北京に年に1、2回行くことだけが楽しみでした。そんな北京でこの記事を見た時は例えようもない衝撃を受け、私も法政の校友会に入りたい、日本語で話せる仲間が欲しいと心から願いました。

それから、中国校友会の連絡先を聞くために国際電話で大学に問い合わせました。しかし回答は「中国にはまだ校友会はない」、ひどくがっかりしたのを覚えています。しかしほどなく、当時校友連合会の副理事をされていた中野忠氏から「ぜひ中国でも校友会を作って」という励ましのお電話やFAXを何度もいただき、元気が湧いてきました。

私は北京の雑誌に「法政大学の校友を探しています」というメッセージを掲載してもらいました。2、3ヶ月過ぎたころ、掲載した私の連絡先に、「自分も法政です」というメールや電話がかかってきました。一人、また一人と校友からの連絡を受けるたびに涙が出るほど嬉しかったのを覚えています。しかも、北京で現地法人の社長兼日本人会の副会長をしていた小俣具久氏や、日系大手商社で働いていた曹京鉉氏、中国最高峰の北京大学で教鞭をとつている白智立氏など、校友が中国で存分に活躍しているのを知ってとても誇らしく頼もしく、法政はすばらしい大学だと改めて感じました。そして、掲載内容を「法政大学校友会の中国支部設立を目指しています」と変更し、手探りでホームページを作って呼びかけを強化、上海の岸本学氏とも知り合うことができました。

私は北京周辺地区で、岸本氏は上海地区、北京出張中に偶然私の呼びかけを記事を見て連絡をくれたという応援団出身の唐橋伸也氏は香港地区で呼びかけを分担してくれることになりました。

そうしてまずは2001年12月8日上海で「法政上海会」、14日に北京で12人の校友が参加した「オレンジの集いin北京」が開催されたのです。

法政チャイナ校友会
代表 楠本路子
91年法学部法律学科卒、北海道旭川市出身

20181207_pic1